2006年01月

石から繋がる地元 その3

南区に星崎とか星野宮とかあるが、『星』の由来はこの地にかつて隕石が落下していたのだ!
その場所は現在の笠寺小学校、隣にある呼続神社の御神体は『隕石』 現在その隕石は
東京の国立博物館に所蔵してある。(勝手に持っていくな~!)
隕石が落ちたのは寛政9年(1632年9月2日)重さ1.04kgの球粒隕石だった。
日本にはクレーターが見られないが、昔々はあったかも。
現在一つだけある。
長野県飯田市上村のしらびそ高原にある。
空からでないと解らないが現在は全体の40%しか残っていない。日本初の隕石クレーターとして2005年に認めらた。

97年豪大陸自転車の旅のときタナマイ砂漠にある『ウルフクリーククレーター』に行った。
隕石のかけらないかな~と探したがあまりに広いので何万年前から転がっている隕石が衝突してとけた岩の小さいのを一つ持って帰ってきた。
こいつも大事なコレクションだ。

訂正
その2の『今川軍と武田軍』ではなくて『今川軍と上杉軍』です。
塩付け街道のスタート地は笠寺から塩尻です。ふ~ん到着地なので塩尻なんだね!

その後名古屋南部での塩の製造が禁止されたため三河の吉良藩に製造命令がでた。
赤穂は塩でも有名だがどうやら吉良と赤穂のケンカは『塩』が元みたいです。(おまけでした)

石から繋がる地元 その2

地元については実のところ何も知らない。
自分たちの住んでいる地域の歴史や土地の名の由来など
どれだけの人が知っているのだろうか?

僕の生まれた名古屋市南区、元は海を埋め立てたらしく名前も大磯通りの名前がある。
熱田区の『七里の渡し』の所までは海。そこから鳴海の辺りまで海岸は続いていたようだ。
名古屋でも南部の旧東海道沿は多くの人が住んでいたらしく、今でもお年寄りがもっとも多い地域。
僕は故金さん銀さんが地元南区の人だったことを恥ずかしいながら10年前まで知らなかったのだ。
やはり彼女たちも旧東海道近くに住んでいた。

南区の歴史で有名な所。笠寺観音、長楽寺、戸部神社ともに旧東海道沿いにある。
笠寺観音の裏手にある笠寺公園には見晴台遺跡があり、弥生時代から人の栄えた所だったようだ。
現在の名古屋南部は湿地帯らしくその名も『年魚市潟・あゆちがた』 あいちの元になった名前である。

調べて見ればほーほーなるほどと言うのが山ほどあった。
塩付け街道と言うもっと細い街道もあるが、これは長野まで馬の背に塩を積んで通った道だ。
塩も南区以南の知多半島で出来た塩田の塩を運ぶ、塩田町などそのままの名前だ

その道の行き先は父の田舎長野飯田まで及ぶ。
戦国の時代『敵に塩を送る』の言葉があったが今川軍と武田軍の戦いの地もこの地だ。
そのときの塩も我が地元の塩であると確信する。

つづく

石から繋がる地元 その1

最近手に入れら白い石ころから石つながりで調べると
面白い事がいっぱい見えてきたのでしばらくこのシリーズでいきます。

去年からまた石ころ拾いが始まりました。
元は小学校1年生から近所の呼続公園でやってた遺跡の土器堀りから始まる。
小学校1年から土器なんて...へんな子供だと思うかもしれないけど事の発端は
公園のある山で虫を取りにいていた時、おじさんたち3人が戸部神社の裏側で穴を掘っていた。
何を掘っているのかなと?思ったがおじさんたちが帰ってから僕と友達は埋め戻された土を
掘り返した。
そこから出てきたのは壊れた壷のかけら『土器の割れた物』だった。僕が持って帰ったものは土器の一番底にあたる『足』にところ。
僕の宝物になった。かけらを沢山集めてもとの壷になるかと思ったけどならなかった。
学校に持っていくと先生は皆に見せてあげなさいと、集めたバラバラの土器の破片を箱に入れ、箱は教室を回った。
その時先生から初めて聞いた言葉『これは遺跡よ』だった。
子供は化石とか大好きだ男の子のロマンだろな
僕の古いもの好きはこのころから始まったのだろう。
ヒマだあれば山で土器ばかり掘っていて小さなかけらは箱にいっぱいになったが
中学1年の時、母親が勝手に棄ててものすごいショックを受けた。
母は何でも棄てるので大変困ったひとである・笑

つづく

手紙を書いた。

昨夜書き終えた手紙を時間外窓口へ出した。
『アメリカまでエアメールで御願いします』
「110えんです」
一年ぶりに送るエアメール。
毎年オーストラリア、シンガポール、アメリカへクリスマスカードかもしくは
ウィンターグリーティングとして出すのだ。
昨年は年末は書かずじまい、年明けに写真と共に皆に報告がてら結婚式の写真を
届けようと思ったからだ。
91.92年と97年僕はオーストラリアにいた、その時お世話になった方々に毎年手紙を書いている。
昨年は珍しく彼らから一通のカードもこなかった、何でかなと思った。
一人のカードがこない理由は正月3日にわかった。
長崎からの賀状が来た、今アメリカにいる女性美奈・クリステンセンさんのお父さんからだ。
家族以外でもっとも尊敬している女性である。
お父さんの賀状には『去年の暮れ無事男の子を出産しました。』とあった。
毎回この人はでかいニュ-スばかりくれるな!ととても感動した。
出産に向け書いている余裕がないはずだ。

彼女に出会ったのは92年の5月、豪大陸の自転車での横断中の出会いであった。
美奈さんは自転車のサポートをつけて車椅子で、毎日30km移動しパースからシドニーまで
走破した、もちろん世界初の車椅子での大陸横断だった。
僕もものすごい勇気をいただいた。
帰国後アメリカへ留学、リハビリも進み一時期は立ち上がる事も出来た。

二十歳の時登山中に滑落し脊椎を損傷し車椅子の生活を余儀なくされたが
人生の再起をかけてその三年後大陸横断の偉業を成し遂げたのだ。
大学を卒業し福祉の仕事にき、趣味の鱒つりで出会った男性と四年前に結婚した。

四年前エアメールが届き一ヶ月間長崎にいるので会いたいとのこと、夜光バスで長崎を訪ねた、変わらぬまぶしい笑顔だったな。

医師からは下半身の機能が麻痺していると診断を受けていたが、神様はちゃんとご褒美を毎回用意していてくれたようだ。
また子供を連れて帰国した彼女に会いに行きたいと思う。

僕も今年子供が欲しいな、最初は女の子がいいな。
この間夢の中に自分の子供が出で来たので『名前はなあに?」と聞くと「○○○」だと
こたえた。
妻のくみちゃんにその事を言うとまた考えようね♪とあっさりかわしてた・笑

冬の行事が終わって

やっと落ち着けたようだ。
年末の慌しさに両手がカサカサになり今はあかぎれがちらほら。
駆け出しのころのボロボロの手に比べりゃかわいいもんだ。

元旦から色々あってブログも書く余裕もなかったけど少し
スローダウンしよう。
1日ついに結婚してしまいました。自分には縁のないものだと思っていたけど、
めぐってきたようです。
2日挙式 神前式で親兄弟のみ、披露宴なしの地味な挙式、これで良いと思えた。
三々九度の杯を渡してくれる巫女さんの手が緊張でプルプルしてた
僕も緊張だ・笑


5日間の正月休み初詣に出かけただけでどこにも行かない休みのための5日間
だったな。
成人式は前日よりサロンの設営から仕込みで2時間しか眠れない。
早朝4時半より毎年お世話になっている着付けの先生を迎えに行く。
『今年もお世話になります。いやあ~一年は早いですねえ』と毎年同じせりふだ。
毎年の流行も変わる、髪型もどんどん変わる。ビシッと決めるアップはオーダーが少なくなった。
着物を着たキャバクラ嬢のような新成人がいっぱいだと感じた今年の成人式だった。

今朝新聞を開くと知っている顔が大きく載っている。
sさんだ!わーすごいね、と二人でびっくりして記事を見る。
結婚指輪もsさんにデザインを御願いして作ってもらたのだ。
ズシリと重たい指輪、僕が産まれて初めてする指輪。

今晩はToshi小島氏のディジュリドゥのライブがある。
楽しんでこよう、僕のディジュも4年目に入るが真面目に練習しないせいか
なかなかうまくならない。
いまこのブログを書いてるのも元はこのデュジュの縁での延長上の結果だ。
奥さんと共々長~く付き合っていきたい楽器だ。
響きのある一年のはじまり!
導きにありがとうございます。
プロフィール

とらじろう

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